私も24日の都内での事前準備から参加させていただきました。
震災を知った時、私は釜山でした。
楽しいはずのジウ姫のイベントが一変してしまい、それから1か月以上たっていました。
当初 私も長女が岩手県で一人だったので、まずは余震の続く中自動車で娘のマンションの掃除に行きました。
娘の部屋が落ち着き、一段落したところでスタジウの奉仕にも参加する気持ちが出てきました。
24日の事前準備は皆様の手際の良い包丁さばきで会場使用限界時刻より2時間ほど早く終了
そのまま東京駅周辺の宿泊所へ一時解散しました。
25日は5時起き
朝の苦手な私はメンバーにモーニングコールを頼んで、ボーッとした顔で集合場所に行きました。
BIYO様があげてくれていた写真以上の食料や荷物がホテル前に積み上げられ・・・・
奉仕対象の人数の大きさを改めて知りました。
まだバスが被災地に入るまでは今までのスタジウのバスの中と同じ雰囲気でしたが、東北道を降り仙台市内を東へと進むうちにバスの中は絶句の声(?)が出てくるようになっていました。
ちょうど私たちがバスで走った有料道路が防波堤となり、海側がほぼ壊滅 反対側がなんとか軽く済んだという感じでしたが、道路を交差する交差点からも津波が侵入したり、多賀城市内のように道路が立体交差するところは町の中まで多くの土砂が流れて爪痕がありました。
胸が熱くなり涙の出た時間でした。
奉仕目的の七ヶ浜は仙台の北に位置し、多賀城市と隣接しているこじんまりとした半島に位置しています。
津波は半島の両サイドから侵入し 高台以外はほぼ飲み込まれた感じだったという話です。
地元の方から知らない家までどこからか流されてきているという話も聞きました。
奉仕場所は難を逃れた高台の公民館や公共施設です。
奉仕場所に入りましたら、感情に浸ってる時間は全くなく、食事提供までにノルマをこなさなければならない一心で戦ったという表現が一番似合っている気がしました。
宿泊は1時間以上離れた隣県で 本当に寝るだけ(寝るだけの時間しかなかったという意味です。が私は別のこともしてしまったので寝る時間は限りなく少なかったです)。
1日目は夕食 2日目は昼食と1000人以上の食事を提供できたと思います。
誰も正確にはカウントしていないと思いますが・・・・
気が付いたら自分は1日の中でお茶を一回飲んだだけという感じでした。
仕事があったためバス組と仙台駅で別れて新幹線を使いましたが
なぜか早く寝てもいいはずなのにどこか興奮冷めやらず・・・・
遅い就寝になっていました
朝起きたら 体はくの字に曲がりまっすぐ歩けないほどの筋肉痛と腰痛です(年齢かもしれません)
被災地復興のためには、被災者の方々だけの力ではなく
陸上自衛隊や様々なボランティアが参加されている現状を見ました。
わかっただけで 同日ボランティアに参加されていたのが、仙台市内の美容師団体のカットサービス
マッサージサービス 各大学生協のボランティア
ほか多数の方が集まっていました
最後に食材が少し残ったのは 被災されている方の中で自分たちの食事を作る係りの方々が快く受けてくださいました。
現地でお世話になった地元の若いボランティア団体のかたや、SJにお友達がいて名古屋から参加の中日新聞社のIさんも SJが到着する前から受ける準備をしてくださっていました。
顔も知らない若い(私からすれば自分の子供と同年代)子たちが、リーダーシップをとって復興のために働いている姿は「頼もしい」の一言でした。
被災者の中に姫のファンがいらして、私たちが作って持って行った写真入りボードをどうしてもほしいとリクエストされ、姫の笑顔を置いてくることにしました。
私たちはほんの一瞬の奉仕でしたが、姫のボードが少しでも長く 現地でエネルギーになれば素晴らしいことです。
Coseさま・・・sayaさま
3/11 震災の後 釜山で一緒に震災の情報を聞いたとき ずっと泣かずに頑張って気持ちを抑制してきたのに
釜山で別れるときに一番初めに涙をこらえきれずに見せちゃって・・・それで抑えていた私たちも一斉に泣いてしまったこと そして今回もこらえきれずに涙を流されてしまったこと
本当に私はあなたたちと知り合って、いろんな場面で一緒に過ごし 力をもらい また力を与え合ってきたこと
誇りです
初めて参加されたメンバーさんも多かったので かなりの戸惑いもあったと思います。長く付き合っていても今回のような奉仕はだれも予測ができない それほどまでに大きな意味のある 大きな奉仕だったと思います。
体力的にも精神的にも厳しい日でしたが、女優チェ・ジウを取り囲む私たちスタジウの団結力や奉仕の精神は、いろんな場面でいろんな方々に支えられて存続してきたものです。
今後も続くであろう私たちの活動は、一長一短ではいかないものでしょうが、こんな世界でも大きな震災に対してもやり遂げられたのだという自信が大きな糧となると思います。
参加されたみなさま
数日間体を休めて 仕事に家事に・・・遊びに 元の生活を過ごしてください
私たちが少しでも元の生活を送ること それが被災地が元気になれる引き金になるのかもしれません
七ヶ浜の方が最後に
「必ず 日本で一番美しいと言われていた七ヶ浜の海岸を戻します。 その時には必ず遊びに来てくださいね」
その時にはまたスタジウで行きましょう~
お疲れさまでした~