2004年3月20日、私にとって忘れることのできない日から早くも1年が過ぎました。
ソウルで開かれたジウ様の「日本ファンクラブ」結成式に参加でき、ジウ姫に初めてお目にかかれ少しでしたがお話もできました。持参したプレゼントをお渡しする時、手紙も受け取って頂きました。
「私は東京に住む銀行員です。以前ソウルに住んでいたことがあり、韓国と韓国文化を愛する日本人です。今、日本では韓国ブームにわいています。私もあなたのことがずっと好きでした。あなたの清純な姿に憧れていました。今日お目にかかれて本当に幸福です。いつまでも応援しています。ご活躍をお祈りします。お元気で。」 この手紙には書かなかったことがあります。
それは私が、長く病床にある私の父と父を看病する母のジウ姫に対する思いを一緒に持ってきたことでした。両親は韓国ドラマを通して韓国に対する思いを深めました。そしてジウ様へも特別な思いを抱いていました。帰国後、私は父に報告しました。「チェジウさんに会えたよ。挨拶もできたよ。一緒に写真もとってもらったよ。」父はベッドに横たわってかすかに涙を流しているようでした。
10日後、父は亡くなりました。今年も桜の咲く時節となりました。父の1周期がやって来ます。
父の遺影の前に、ジウ姫と腕を組んでいる私の写真を備えるつもりです。
ソウルで開かれたジウ様の「日本ファンクラブ」結成式に参加でき、ジウ姫に初めてお目にかかれ少しでしたがお話もできました。持参したプレゼントをお渡しする時、手紙も受け取って頂きました。
「私は東京に住む銀行員です。以前ソウルに住んでいたことがあり、韓国と韓国文化を愛する日本人です。今、日本では韓国ブームにわいています。私もあなたのことがずっと好きでした。あなたの清純な姿に憧れていました。今日お目にかかれて本当に幸福です。いつまでも応援しています。ご活躍をお祈りします。お元気で。」 この手紙には書かなかったことがあります。
それは私が、長く病床にある私の父と父を看病する母のジウ姫に対する思いを一緒に持ってきたことでした。両親は韓国ドラマを通して韓国に対する思いを深めました。そしてジウ様へも特別な思いを抱いていました。帰国後、私は父に報告しました。「チェジウさんに会えたよ。挨拶もできたよ。一緒に写真もとってもらったよ。」父はベッドに横たわってかすかに涙を流しているようでした。
10日後、父は亡くなりました。今年も桜の咲く時節となりました。父の1周期がやって来ます。
父の遺影の前に、ジウ姫と腕を組んでいる私の写真を備えるつもりです。
そのような切ない事情がありましたよね.
お父さんのお話を伝えて聞いたら心が痛いです.
お父さん,お母さん, MASA様のジウ姫に対する深い愛にありがとうございます.
心より故人の冥福をお祈ります.